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「米沢に紅花の新田あり」といわれるほど紅花で有名なよねざわ新田は、創業当時は袴をメインに織っていました。新田源太郎さんは機屋としては五代目。武士だった新田家として数えるとさらに歴史は古くなります。威風堂々とした門をくぐると、庭には上皇ご夫妻が皇太子の頃に訪れた記念碑があり、その後天皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と、多くの皇室の方々をお迎えしてきました。
新田が紅花で有名なのは、長い間途絶えて謎に包まれていた紅花染を復興したからです。源太郎さんの祖父母、秀次さんと富子さんのお二人が、紅花の研究者と出会ったことから壮絶な紅花研究は始まります。
日中は家業である機織りに専念し、紅花染は夜中に台所で研究を続けました。そして次、四代目英行さんが紅花のバトンを引き継ぎ、たゆまぬ努力とチャレンジで紅花染は米沢を代表とする色となったのです。まさに米沢魂です。
新田家のすごいところは、その研究成果を秘伝として独り占めせず、米沢の機屋仲間に惜しげもなく分けたこと。そのおかげで、紅花染は米沢産地の代名詞ともなりました。
この懐の大きさは新田作品にも表れています。どの作品を見ても目が釘付けになり、心が引き寄せられていきます。大きな心と不屈な精神は、美しくのびやかな、優しい魅力にあふれる作品を生み出す理由のひとつかもしれません。
着尺:「舞」
経糸に絹糸を用いて光沢を出し、緯糸を真綿手引き紬で織り上げました。染織から製織まで一貫生産することで、新田らしい美しい色合いに。
着尺:「初雪」
経、緯ともに上質な真綿手引き糸で、着るほどにしなやかになるように織り上げました。紅花を染料にするために加工する際、発酵させた花びらを絞ったオレンジ色で染色。一年草の紅花を育て、花餅にする一貫生産の新田ならではの色です。ほかに、梅、栗なども用いています。
紅花染について、実演しながら熱心に説明をしてくださる新田源太郎さん。
門をくぐると、皇太子、皇太子妃両殿下行啓の記念碑が。
紅花染の美しいグラデーション。一番濃い赤は紅花を贅沢に使用した唐紅。いつまでも眺めていたくなる美しい赤に心奪われます。
紅花は二つの色素を持っています。摘み取った紅花をその日のうちに水洗いして圧縮機にかけると黄色が出て、これで黄色に染色することができます。その後、丸い形にして筵(むしろ)に並べ、その上に濡れた筵をかぶせて発酵させると紅花の色素が促進されます。こうしてできた紅餅は口紅の原料にもなり、かつては米の百倍もの値がつきました。
源太郎さんは機の音を聞きながら、祖父母、両親の仕事を見て育ち、京都の帯屋に勤務した後25歳で米沢へ戻ってきました。
「それからが大変でした。毎日が小さな失敗の積み重ねでしたが、わからないことは素直に聞けたのが良かったです」と、織ることのできる環境を与えてくれた家族に感謝の気持ちを忘れません。
家業をしっかりと守りながらも、2011年には「日本伝統工芸展」へ、百色の糸を使い、経糸には8千本もの練り糸を用いたしなやかで美しい袴「千尋草」を出品。日本工芸会新人賞を受賞し注目を集めました。その後も紅花染の赤を用いた袴「時見草」など、日本伝統工芸展への出品を続け、自らの研鑽を重ねています。
紅花染は現在、秀次さんの次男で常務の克比古さんが担当。一年草である紅花を自ら育て、摘み、花びらを発酵させて紅餅を作るという一貫生産の新田にしか染められない色を操っています。紅花は黄色い花です。そして全体の約99%は黄色の染料。赤の染料はわずか1%しかない貴重で難しいものなのです。