Ruruto

特集

ちむじゅらさんの染と織
思いをつなぐ沖縄染織をまとう秋
※沖縄の方言「心の清い人」

琉球王朝の王族衣裳
琉球びんがた やふそ紅型工房

  • 私には師匠はいないから
    そう言いながら
    太陽の恵みそのものの笑顔で
    「琉球びんがた」の発展に寄与している
    屋富祖幸子さん

    頭上には美しい紅型が揺れている。
    しばらく枯らしてから水元へ。

絶たれた進路

おおらかな笑顔で『るると』編集チームを迎えてくれた屋冨祖やふそ幸子さん。やふそ紅型工房を率いています。紅型の材料や道具、工程や技法一つひとつを丁寧に、分かりやすく説明してくれました。
「私には師匠はいないから」と言う幸子さん。現在では紅型に携わる多くの職人さんたちが、紅型の家に生まれた子か、あるいは有名な先生のいる大きな工房へ弟子入りをする中、幸子さんは異色の経歴の持ち主と言って良いかもしれません。
少女の頃から絵が好きで紅型が好きで、首里高校に進学、染織工芸科で紅型を学びましたが、昭和30年代後半の沖縄はまだ現在のように琉球びんがたの工房は多くなく、弟子として受け入れてくれる工房はありませんでした。幸子さんはやむなく方向転換を決意してジュエリー・アクセサリーデザイナーを志し東京のデザイン学校へさらに進学、デザインを学んで那覇へ戻ってきました。

運命の出会い

そして宝石、皮革関係の会社の門をたたきます。ところが社長の照屋敏子さんは面接の時に、今さら宝石のデザインなどをせず初志貫徹で紅型をやるべきだと断言します。驚いたことに照屋さんは紅型の工房を作り、道具も材料もすべて用意してくれたのです。さらに、幸子さんと同様に首里高校の染織科を出ても就職先のない卒業生を受け容れられる体勢も整えてくれました。照屋敏子さん、沖縄屈指の事業化にして後に「伝説の女傑」とまで呼ばれる人です。今となっては誰にも分らないことですが、照屋さんは幸子さんに直感的に何かを見いだし、投資の価値ありと判断したのかもしれませんし、沖縄独立を本気で夢見たとてつもないスケールの女性ですから、沖縄の未来に欠くことのできない「琉球びんがた」への投資だったのかもしれません。これが「やふそ紅型」の始まりでした。

太陽のような染 太陽のような人

屋冨祖幸子さん(右)と、
やふそ紅型工房を受け継ぐ
屋冨祖絵里さん(左)

照屋さんの沖縄愛とエネルギーは常に活火山のマグマのようで、部下のどんな小さなミスも許さず年中噴火を繰り返し、猛烈な迫力で怒鳴るので、従業員はあまりの恐ろしさに長続きする人がいない中、幸子さんはどんなに頭ごなしに怒鳴られてもやめませんでした。それどころか紅型に従事する傍ら、中国やインドネシアなどの出張にも同行し藍印花布、更紗など見聞を広めていきます。「お前はクビだ」といつ言われても良いように、どこへ行くにも帰りの運賃だけは持って出たというエピソードにその凄まじさをうかがい知ることができます。幸子さんの師といえば、まさにその女傑その人であり、独立に当たっては工房のすべてを黙って幸子さんに与えてくれた恩人でもありました。
紅型の説明しながら、私たちを一瞬にして束ねてしまう統率力、おおらかな愛情で温かく包み込んでしまう包容力、紅型は太陽の恵みの布だという幸子さんもまた、太陽のような人でした。幸子さんは「琉球びんがた事業協同組合」の理事長を長く務め、「伝統を磯に琉球びんがたを世界へ」という使命感を持って紅型の普及や発展にその身を捧げ、太陽のように琉球びんがたに光を与え続けています。

琉球びんがたができるまで

琉球染織唯一の後染めである琉球びんがたは、かつて、琉球王朝の王族の衣裳であり貴重な交易品でもありました。王朝たちは琉装りゅうそうといって、いわゆる着物の和装とはまったく違う装い方をしていました。琉球びんがたは、それ故琉球王朝解体後徐々に衰退の一途をたどります。第二次世界大戦以後徐々に沖縄復興とともに血のにじむような努力と工夫で復活を遂げ、沖縄返還以降は他に類を見ない染であるところから、和装としての創意工夫がほどこされると、全国的に人気を博しました。今もすべての工程を手作業でその技術を守り伝えており、使う道具もほぼすべて手作りで、沖縄の豆腐を干した物や、刷毛も人毛を使った物などが使われています。

  • 図案づくり
    全体のイメージをデザインし、原寸大の図案にしていきます。

  • 型彫り(カタフイ)
    型紙には「白地型」と「染地型」の2種類があります。「白地型」は地を彫り落として文様を残す方法で、「染地型」は逆に地を残して、文様の部分を彫っていく方法です。細かい部分から彫り始め、彫り上がった型紙は紗張りして文様が崩れないようにします。

  • 型附け(カタチキ)
    布面に型紙を置いてその上から防染糊を置いてヘラでしごきます。型紙の彫り落された部分に糊が施され、生地に文様が型附けされます。この作業をわずかなズレもないように置いていきます。

    防染糊は糯米(もちごめ)4:糠(ぬか)6の割合を目安に作りますが、染める生地の素材や気温、湿度によって配合を調整し、防腐と防染効果を高めるために消石灰を入れたり、型附け後の糊の亀裂防止のために塩を加えたりしています。

  • 色挿し(イルジヤシ)
    色を染めることを「イルクベー(色配り)」と呼び「琉球びんがたの美しさはイルクベーにある」といわれます。顔料と天然染料による採色の技法も「琉球びんがた」独自のもので、スーッと描くとか布の上に絵を描くというよりは、繊維の奥の奥までしっかりと色を挿し込んでいきます。イルクベーは薄い色や、朱など赤系統の暖色系から挿し、寒色系は後で挿します。

  • 隈取り(クマドウイ)
    色挿し、摺(す)り込みの後の文様の部門にぼかし染めを施す「琉球びんがた」独自の技法で、色挿し筆と隈取り筆の2本を持って行います。色によって隈取りする色には決まりがあります。立体感や遠近感、透明感を出す効果が得られ、それぞれの文様に強弱を出します。

  • 糊伏せ
    文様の上に防染糊を伏せる方法で「ビンウシー(紅押さえ)」ともいいます。紅型の「紅」は赤い色だけではなく色全般のことを指します。 文様の色の防染だけではなく、生地の白場や文様の白場を効果的に出すための役割も果たしています。

  • 地染め
    顔料、染料による刷毛引きをしますが、藍染めの場合は藍壺に浸けます。黄色地は植物性染料の福木の樹皮から取れる染料で染められ、王朝時代には一番位の高い色とされました。

    水洗
    地染めの終わった布は、蒸し、水洗いをします。水槽いっぱいに張った水の中で軽くたたみ込むようにしながら、布が水面に浮かび上がらないように操作して、防染糊や余分な染料、顔料などを洗い落とします。一定時間水に浸すと自然に糊が柔らかくなり、布から遊離します。生地が折れたり、擦れたりしないよう細心の注意を払いながら糊が残らないように何度も水を換えて水洗いします。作品によってはこの後さらに型附けや糊伏せの工程を繰り返します。