特集
もともと、京友禅の加飾だった金彩の技術を、15年の歳月をかけて寝食を忘れるほどの情熱で、金彩技術の改良、金彩友禅の開発に取り組んだ和田光正氏。
開発当時10色ほどしかなかった金彩箔を、コツコツと1色ずつ増やし、今では150色を超える微妙な色合いを布の上に描くことができるようになりました。それを受け継いだ全央さんがさらに技術を高めています。
色のグラデーションは、友禅の真骨頂で、染めにしかできない表現でしたが、金彩でグラデーションを描くことができるよになると、染めで表現できる世界観はすべて金彩で描き切ることができるようになりました。
金は金属ですから畳んだら折れないか?
ひっかいたら剥がれないか?などと考えられるあらゆる心配をクリア。なんと現在ではアーティスティックスイミングの水着にまで採用されるほど、水の中で激しい動きをしても剥がれ落ちないというレベルを達成しています。
膨大な時間と手間を惜しまずに
丁寧な一針一針によって描き出される
美しい光沢と立体感は、手刺繍ならではの芸術。
祇園祭が終わり、立秋を過ぎたというのに、お盆の頃の京都の残暑は予想以上で、少々及び腰になりながら、覚悟は決めてきたはずなのに、容赦なく降り注ぐ強い陽射しと盆地特有のまとわりつくような湿気に迎えられた『るると』取材班。美しい刺繍に会いに市内を北へ。「紫」という文字のつく地名は古くから染と深い関係があるといわれますが、その北区紫竹へ向かいます。大きな家が建ち並ぶ住宅街に、尾峨佐染繍さんはありました。
笑顔で迎えてくださったのは田上雄さん。尾峨佐染繍のベテラン社員さんです。刺繍作品がずらりと並び、エアコンのひんやりした風が気持ちよい部屋へ誘われ、冷たいお茶をいただくとようやく人心地つきました。二間続きの大きな和室は居心地の良い快適な空間です。早速、田上さんに尾峨佐染繍さんの成り立ちをうかがうと、「創業が40年くらいの、ここ京都ではさほど古いとはいえない会社です。会長の小笠雅章が呉服メーカーに勤めていたときにちょうど中国の担当をしていました」と、流ちょうな説明が始まりました。中国といえば四千年の歴史を誇る文化も文明も先進国でしたから、さまざまな工芸品があり、手先が器用な国民性や賃金が高度経済成長期の日本よりも安かったことなどから、1960年頃から着物のさまざまな加工技術を中国などで行っていました。小笠氏はその発注や技術指導、そして商品制作などを担当していたのです。
住宅街に溶け込む尾峨佐染繍の社屋
玄関では、酒造メーカーのCM出演をきっかけに「ばくざん先生」の愛称ですっかりお茶の間の人気者になった書家 榊莫山の書による社名の額が迎えてくれます。
一針一針縫い留めながら繊細で他に類を見ない芸術を生み出す汕頭刺繍。
中国の高い技術は枚挙にいとまがないほどありますが、中でも三大刺繍と呼ばれる「汕頭刺繍」、「蘇州刺繍」、「相良刺繍」はとても有名です。小笠氏はもの凄い頻度で中国と日本を行ったり来たりする中で、お土産品の汕頭刺繍のハンカチを見て「これ、着物にしたらきれいなんと違うやろか?」と気づいたといいます。当時まだ、汕頭刺繍を施した着物はありませんでした。それから中国の職人さんたちと試行錯誤を繰り返す中で「よしこれならいける」という段階にこぎつけることができ、その後、独立をしてできたのが尾峨佐染繍という会社というわけです。
尾峨佐染繍という会社名は、会長の小笠さんが独立するにあたって、近所の晴明神社で名付けてもらったもの。陰陽師安倍晴明で有名な京都の人気観光地の一つでもある晴明神社は、子どもの命名依頼でも有名で、読めば名字の「小笠」と同じ音を持つ社名になりました。
尾峨佐染繍の代名詞ともなった汕頭刺繍は、かつて外国人の国内移動やキリスト教の布教が禁じられていた清朝(中国)にあって、1858年、イギリス、フランス、ロシア、アメリカの4ヵ国と結んだ天津条約がきっかけで、キリスト教の布教ができるようになり、キリスト教宣教師が広めた手芸技術と、汕頭古来の技術が融合して出来上がった世界的にもまれな美しい工芸品です。
レース編みにも見えるような、なんともふしぎな美しさを誇る汕頭刺繍はどのように作られているのでしょう。眺めているだけではどうにもこうにも分かりません。田上さんに教えていただきました。
「汕頭刺繍は、生地の糸を図案に従って部分的に抜き取るところから始まるんです。図案によっては途中で糸を切ります」と田上さん。 当然布には糸を抜いた部分、切った部分に穴が空いてしまいます。その部分を刺繍で縫い留めてレースのようなエレガントな風合いを生み出すというとても珍しい技法で、豊かな表現力にもつながる縫い留め方も多種多様です。汕頭刺繍の作品の多くは大島紬の生地で作られていますが、糸を抜いても切っても大丈夫な特別な白生地を産地に発注しているそうです。
汕頭刺繍の高い技術を習得するには、想像に難くないことですが、やはり歳月が必要だといいます。日本の多くの工芸技術と同様に、実は汕頭刺繍も例外ではなく、従事者が年々減り、消滅が危惧されている技術の一つになってしまいました。この美しい技術を残そうと、そしてより美しい着物を生み出そうと尾峨佐染繍は力を入れています。注文してからどれくらいかかるのか田上さんに尋ねると、 「数カ月・・・・、中には数年かかるものもあって、受注したからといってすぐに出来ないのがつらいところですね~」と苦笑していました。
糸引き縫い
花傘縫い
大亀甲縫い
格子縫い
雪花縫い
米字縫い
満点星縫い
網目縫い
松葉縫い
裏亀甲縫い
小亀甲縫い
菱形縫い
近づいてみると、一つの作品に、さまざまな技法が用いられていることが分かります。
草花の濃淡や立体感まで、糸で描き出します。
狙い通りに染められた絹糸を、2分の1、4分の1とほぐして割いて細くしていきます。「刺繍絲割糸見本」には最大32分の1まであり、求める表現のためにさまざまな細さの糸で刺繍をします。
尾峨佐染繍のもう一つの得意技は蘇州刺繍です。蘇州は上海の西側に位置する東洋のベニスの異名を持つ美しい都市で、中国国内では「この世の天国」とも呼ばれています。運河と橋で結ばれた九つの古典庭園がユネスコの世界遺産に登録をされ、観光地としてもとても人気があるところです。
蘇州刺繍の歴史は汕頭刺繍よりも古く、2000年前からとも2500年前からともいわれ、春秋時代から連綿と受け継がれてきた技術です。中にはリバーシブルで両面どちらから見ても同じに見える技術や、動物の毛並みがそのまま表現されたようなものもあり、絹の絵画とも評されます。額に入れた蘇州刺繍の作品をご覧になったことがある方もいらっしゃることでしょう。その高度な技術と多彩な表現力を着物に存分に生かし、古くから日本に伝わる染色の技術と見事に融合させながら美しい作品を作り上げてきたのが尾峨染繍なのです。
さて、三大刺繍の最後、相良刺繍ですが、着物の刺繍として長い歴史を持つ相良刺繍は、クルクルとした、縫い物の玉留めのようなポツポツが特徴で漢から伝わったといわれます。大仏様の頭を表現するのに用いられたとも伝わります。同じサイズの玉を並べておしべを表現したり、小さなかわいらしい花弁となったり、作品全体に光沢とマットのコントラストでメリハリをつけたり、繊細な存在感を与えたりします。
一通りの説明を受けて、ソワソワと気になるのは、飾られている豪華な作品です。田上さんが慣れた所作でパッと広げて見せてくださる振袖は、蘇州刺繍の迫力、艶と立体感が見事で、着用したときのイメージをふくらませるとその豪華さにため息が出てしまう取材班一同。遠慮気味にジワジワ近づいて、落ち着いて作品をよく見ると蘇州刺繍だけでなく、相良刺繍や、金駒刺繍も見られ、中には汕頭刺繍が施されたものもあります。振袖の布に汕頭刺繍を施すのは、汕頭専用の生地よりも、さらに難易度は高くなります。贅を尽くした振袖が次々と目の前に広げられていきます。田上さんは花嫁衣裳の担当もなさっていらっしゃるそうで、「打掛はまた見事なものですよ」と余裕の笑みを浮かべていました。確かに打掛ともなればさらに豪華さが増すのでしょう。部屋中に広げられた振袖の海。高度な刺繍技術の共演、いやむしろ競演。これぞ尾峨佐染繍の真骨頂ともいうべきでしょうか。
世界のあちらこちらで自然発生的に生まれた技術や工芸が、その国や地域の気候や風土、環境で独自の発展を遂げています。それらが歴史の流れとともに偶然出会い、融合し、より良い技術として発展していくのもまた素晴らしいことだと改めて教えられた取材となりました。