糸は生きているのだから
用の美を貫く紺仁の粋
宝暦元(1751)年に初代松井仁助が藍染めを始めてから270年。十二代に渡って暖簾を守り続けてきた紺仁。紺屋でありながら江戸中期からは片貝木綿を織り始めました。紺仁の母屋は江戸時代の建物。火事が多い片貝の町で一度も焼けなかった上に中越地震でも倒壊しませんでした。
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木綿のいとおしさ
吸水性に優れた素朴な風合い
着物:片貝木綿 紺仁
帯:博多紗八寸なごや帯「剣雅」 織屋にしむら
太さの違う三種類の糸を織り込むという、見た目には分かりにくい高度な技術で木綿の最高の着心地を実現した片貝木綿。襦袢なしで浴衣感覚でも、襦袢を活けて活物としても。
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着物:和更紗 紺仁
帯:筬波明石九寸なごや帯 吉澤与市
和更紗は綿ちぢみの白生地に更紗を型染めしたもので単衣での着用をお勧め。
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浴衣と着物の二刀流
着物:片貝絞り 紺仁
帯:博多八寸なごや帯 スタイリスト私物
絞り糸を白生地を織る段階で同時に織り込むという斬新な紺仁ならではの技術で、絞りでありながら求めやすい価格を実現しました。
one point
昭和20年代に民藝運動の第一人者、 柳宗悦が紺仁を訪れ、 「糸は生きているのだから殺してはいけない」と用の美を諭しました。以来、 紺仁では「 日常に使われること」という精神を貫き、 着心地、使いやすさといった木綿の美に徹底的にこだわっています。