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特集

十一代目岩井半四郎襲名
伝統芸能と着物

写真:タカヤコーポレーション  着付け:羽尻千浩
ヘアメイク:添田麻莉  モデル:四位笙子、HIKARI
商品協力:丹羽幸株式会社、丹裳会

齢三歳で初舞台を踏み、岩井流宗家として舞を極めてきた岩井友見さんが、
2020年、十一代目岩井半四郎を襲名しました。
コロナ禍で岩井会は延期。
そんな中、稽古を続け、芸を磨きながら一方で、
40年余りの間携わってきた着物のプロデュースにも一層力が入った日々でした。
出来上がった着物の中から好きな物を選ぶとか、イメージだけを伝えて丸投げするのではなく
自らが作家の工房や産地へ足を運び、生地1枚、図案1枚から徹底した物づくりをする姿勢と熱意に、
作り手たちも力が入ります。
十一代目岩井半四郎襲名物語と、伝統芸能を極めた中から生み出された、
岩井半四郎プロデュースの着物を、
半四郎本人の言葉でたっぷりとご紹介します。

十一代目
岩井半四郎襲名

2020年11月、京都文化博物館で日本きものシステム協同組合(以下、JKS)の例会場に拍手に包まれて登場した十一代目岩井半四郎氏。
深々とお辞儀をする姿も凛として美しく、覚悟とオーラを感じさせてくださいました。
JKS加盟店の参加者たちは、舞台を観るかのように十一代目継承の講演に耳を傾けました。

舞台で口上を述べる岩井友見さん時代

十一代目岩井半四郎襲名の覚悟と責任

皆さま、ご機嫌よろしゅうございます。本日はお世話になっている皆さまの前でおこがましくもわたくしがお話をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

今年(2020年)の1月14日に父の名を継ぐべく記者会見をさせていただいたのでございますが、ご存じのとおり、世界中をかきまわしているコロナ禍で、岩井会は来年へ延期となりました。

故 十代目 岩井半四郎
歌舞伎役者、俳優、日本舞踊家。
屋号は「大和屋」、定紋は丸に三つ扇、
替門は杜若丁字(かきつばたちょうじ)。

私は、昭和26年に十代目岩井半四郎の長女としてこの世に生を受けました。同年に父が市川笑猿という市川猿之助の門下の名前から、岩井半四郎の名跡を継承させていただきました。九代目は早くに亡くなっておりましたので、未亡人からお許しをいただいて襲名をしたわけでございますが、一つ条件がございました。それが、仁科の家から一人養子に欲しいということでした。そこで、長女の私が岩井友見と名を変え69年間、岩井友見という本名でやってきたわけでございます。

さて、名前というのは10年経つと忘れられていきます。私の一存で留め名にしてしまうのはおこがましいと思い、松竹の社長と相談をいたしました。私は女性ですので歌舞伎は継げません。幸い父は歌舞伎と日本舞踊の宗家家元でしたので、私は日本舞踊の宗家家元を、一代限りで継ぎ、岩井半四郎を名乗らせていただくお許しをいただきました。例のないことですが、歌舞伎の歴史400年の中368年経った岩井半四郎の名跡を、10年でも20年でも、私が微力ながらつないで参ろうと決心しました。

歌舞伎は、ご存じのとおり江戸時代に大きく花開きました。戦争がなかったからだと思います。だからこそ歌舞伎が花開き、着物の文化も大きく花開きました。歌舞伎に寄り添って着物があり、また着物という様式美があるからこそ、舞台の上で美しく演じ、舞うことができるわけでございます。

歌舞伎は出雲阿国に始まり、今のカタチになったのは初代市川團十郎が祖といわれております。初代閣十郎は武士の出身でしたので、荒事が得意です。隈取りに大きな衣装で見得を切る。バッタバッタと立廻りの方々を次々となぎ倒すスーパーヒーローです。これこそが江戸歌舞伎の発祥でございます。

一方初代半四郎は、神戸は有馬の扇商の息子でした。上方歌舞伎、和事は恋愛もの、情緒を得意としております。勧進帳などには女性の役は一人も出てまいりません。それでは殺風景だということで、四代目半四郎が初めて江戸へ行き、共演をさせていただきました。そこで、柔らかい場面も彩られるようになりましたので、今の歌舞伎のカタチへと持っていったのが「團十郎家×半四郎家」ともいえるわけでございます。折しも海老蔵さんの圃十郎襲名も1年延びてしまいました。歴史を長くつないでいくためには直系だけでは難しく、養子をとるということで、家と名を繋いでまいりました。

身にまとい、動いたときに美しく見える着物

  • 長唄「橋弁慶」を演じる十代目。

  • 「三世相錦繍文章」でお園を舞う十一代目。

  • 長唄「藤娘」を舞う、あどけなさの残る友見さん。

  • 常磐津の「将門」で親子共演。
    十一代目は「滝夜叉姫」を舞いました。

歌舞伎は脚本も、演出もない中、役者の工夫で台詞や見得、立ち回り、所作、衣装、鬘が決まって口伝で受け継がれていきます。

また歌舞伎には團十郎家はえび茶、岩井家は紫と鶸色があり、それぞれの家の縁の文様もあります。麻の葉文様は四代目半四郎が舞台衣装として着用したところから連綿とつながってきました。歌舞伎役者は常に時代のファッションリーダーなのです。父の十代目半四郎も工夫をし、ものづくりをすることが好きでした。私も女優としてデビューをしておりましたので、父と娘の着物として物づくりがスタートいたしました。

一つひとつ、しっかりと作り手の方と関わり合って熱心にものづくりをしないと納得がいかないほうなので、専門家に教えを乞いながら気が付けば40年間。私は主婦も45年やっていますので、ものづくりをよく料理に例えます。新鮮な材料は、手を加えなくても美味しい。つまり着物は白生地が一番大事ということで、300年の歴史を持つ、白生地問屋大塚の綾涛という生地をよく使っております。

私自身が舞台で着物を着て踊りますので、シワになりにくい、着崩れがしにくいなど、着て動くものとして考え、衣桁にかけたときに映える着物ではなく、身にまとい、動いたときに美しく見えるのが私の着物のコンセプト。女性は私もふくめて欲張りですから、ふくよかな方はほっそり、ほっそりした方はふっくら、背が高い人は低く、低い人は高く見せたいと無いものねだりをします。女性の美に対する探究心は旺盛ですからその方に合うものをお作りしてお見立てをしないといけません。

踊りの世界では一人が舞台に立つために百人が動きます。その方々を大切にしていく。それは父の代から変わっていません。引退なさったりお亡くなりにならない限りずっと同じ方にお願いしております。そこにコンピューターでは割り切れない阿吽の呼吸が生まれます。人間対人間の関係を大切にしていくのは着物づくりもまた同じ。始めたときからずっと同じ方々と試行錯誤を続けてきました。着物の雑誌は影響を受けるのであまり見ませんが、女性誌には目を通して流行の色や時代の空気を見つめます。着物制作には時間が要りますので少し先を見てものづくりをと思い勉強しております。

舞台で踊り、いただく拍手、そして着物のお見立てをしたときのお客さまの笑顔は私の財産です。それら舞いの道、着物の道、父の残した二つの遺産をしっかりと守りながら次世代に橋渡しをしていくことが、今の私にとって何よりも大事な天命だと思っております。

世阿弥の『花伝書』は代々の歌舞伎役者の方々の大切な教科書です。その中に「時分の花」という言葉があります。10代、20代、各世代において花を咲かせることが大事です。私は70代、どういう花を咲かせるか。人生の最後の花道をどう歩んで仕事をしていくか。松よりも高い位に蘭位という位があります。そんな高みを目指し、私のプロデュースする着物を気に入ってお召しになってくださる方との出会いを楽しみに、そして励みにして舞いの道とともに一歩ずつ精進してまいります。

着るひと/四位笙子

曙霞取りぼかし


日本が永遠に美しく優しく、穏やかな国でありますよう願いを込めて染め上げました。古来から伝わる日本の伝統色ならではの透明感のある華やかさと、奥の深い色彩で霞文様に仕上げました。
京染めの技の極みであるしけ引きとぼかしの技法だけで表現した大変に難しい技術を要する作品です。