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伝え残したい日本の礼装の
美と心

平安時代より伝えられる装束 十二単

我が国の朝廷が誕生してから今日に至るまで、そこに生きた人々が身に着けた装束は、ときの流れと共に変化を続けてきました。平安時代中期、遣唐使の廃止によって、日本の文化は中国大陸の影響を強く受けた「唐様」から、日本特有のものへと変化していきます。装束の分野においても和様化が進み、日本ならではの十二単が誕生しました。

  • 写真提供:衣紋道高倉流たかくら会中部道場会頭(装奨きもの学院院長)安田多費子

  • 写真提供:衣紋道高倉流たかくら会中部道場会頭(装奨きもの学院院長)安田多費子

「十二単」は、江戸時代に俗称として定着した呼び方で、正式には「唐衣裳」と呼ばれます。

平安の昔、日本の夏は湿度が高く暑いことから通気性に富んだ高床式の建物が好まれました。それにより生活の快適さは増しましたが、冬の寒さはしのげず「衣を重ねて暖をとる」という様式が発達していきました。

四季の豊かな色とりどりの風土と相まって、その季節の色彩を重ね着の中で趣向を凝らすという日本人固有の美意識が育まれました。

重ねの配色に対する関心は、数々の色の組み合わせを生み出し、宮廷装束は日本の服飾文化を特徴づけるものとなっていきます。表地を選んで、八掛の色をどうしようかとあれこれ工夫をしたり、半衿や、重ね衿の合わせ方にこだわったり、裏地との取り合わせを楽しんだりと、現代では当たり前のようになっているおしゃれや色に対する独特の美意識は、こんなところにその原点があるのかもしれません。

さて、平安時代にやわらかい「柔装束」として生まれた宮廷装束は、平安末期になると、地の厚い絹織物の「強装束」へと変化していきます。強装束になった宮廷装束を身に着けるには、独特な技術が必要になりました。その装束に関する技術や知識の集大成は「衣紋」と呼ばれます。

衣紋の創始者は、後三条天皇の孫で、白河天皇の寵愛を受けた源有仁であるといわれています。有仁は詩歌や書に優れ、「春玉秘紗」などの著書は盛んに書写、伝来されて公事の参考にされました。その有仁が創始したのが「衣紋道」。衣紋道は藤原氏の徳大寺と大炊御門の両家に伝えられました。徳大寺の衣紋は山科家へ、大炊御門家の衣紋は高倉家へとそれぞれ伝えられて、この両家が代々受け継ぎながら今日に至っています。現代の宮廷装束の着装法もこの衣紋道にのっとっており、平安末期以来の伝統を踏襲していることになります。

フォーマルの着物に見られる重ね衿(伊達衿)はこの十二単に見られる重ね着からきています。また、黒留袖に見られる比翼も、かつては黒留袖を重ね着していたことの名残りで、襲(かさ)ねるは、おめでたいことが重なるということから今に伝わっています。

髪型

大量髪(おおすべらかし)です。別名「お大(だい)とも呼び、 江戸時代末期に創作されました。
大きく張らせて後ろの首辺りで長かもじを継ぎ「絵元結」を付けます。 28歳までは赤地に金彩と極彩色で絵のあるもの、28歳以上は金地に極彩色のものを付けます。頭の真上で額際のところに「丸髷」を付けて、「鍬子(さいし)」を3本の「讐(かんざし)」と1本の紫色の縒り糸で固定し、その下の額際に櫛(くし)をさします。平安時代の髪形は「垂髪(たれがみ)」でした。

十二単の構成

①白の小袖に長袴を着け綱帯を締めます。
②単を着けます。
③五衣(いつつぎぬ)五つの衣(きぬ)を一枚ずつ着て、五衣の襟を一つにとり直します。
④打衣(うちぎぬ)を着けます。
⑤表着(うわぎ)を着けます。
⑥唐衣(からぎぬ)を着けますが、 この唐衣は腰までの長さで羽織 のような丈のもので脇は縫ってありません。
⑦裳
・「大腰」を背に高めに付けます。
・「小腰」を前で結びます。
・「八帽(やはば)の裳」ゆったりと広げます。
・「引腰」裳の右端から2枚目の上に置きます(左も同じ)。

衣高倉流第23代高倉永剛(ながつね)宗家は、 十二単のお服上げは「小じんまりと愛らしく」と言い残されています。現在は25代高倉永満宗家です。

人生の節目を知って、大切に、心豊かな一生を 通過儀礼

日本人は、この世に生を受けてから、天から授かった命を終えるその日まで、いくつかの節目を設けて祈りや感謝の儀式を行ってきました。それを「通過儀礼」と呼びます。 生涯一度の思いを込めて、大切に、丁寧に行いたいものです。
※地域によって形式が若子異なりますが、根底にある精神は同じです。

  • お宮詣り

    無事出産の御礼とともに、生まれた子の健やかな成長を祈願します。室町時代より受け継がれた習慣で、生後約1ヵ月(男児31日目、女児33日目)の母子共に健康状態の回復を考えて外出に無理のない頃に行います。赤ちゃんは、祝い着をかけ産後の母親ではなく祖母が抱くことが多いです。

  • 七五三

    数え年、三歳、五歳、七歳の11月15日に行いますが、最近は前後1ヵ月くらいの余裕を持ってお参りする方も増えています。三歳は「髪置きの儀」、五歳は「着袴の儀」、七歳は「帯解きの儀」が元になっている由緒ある通過儀礼です。それぞれ子どもの成長の御礼とさらなる成長を祈願します。

  • 入学式・卒業式

    子どもが主役ですので、華美になりすぎないように、しかし、母親の着物姿は生涯の思い出ですので、色無地、落ち着いた雰囲気の訪問着や付下げでも。黒の羽織を羽織ればきちんと感が増します。

  • 十三参り

    大人と子どもの境目で、精神的にも肉体的にも不安定で切り替わりの時期。4月13日に数え年13歳を迎える男子、女子が虚空蔵菩薩を祀るお寺に成長を感謝し、これからの健康を祈ります。女児は肩揚げをした振袖を着用します。

  • 成人式

    振袖を着て、ご両毅やご家族に感謝の言葉を伝えましょう。男女ともに行いますが、美しく成長したお嬢さまの大人への門出の晴れ舞台は、未婚女性の第一礼装で。

  • 結婚式

    新郎新婦の父親は黒紋付羽織袴または、モーニング、母親は黒留袖、仲人もこれに準じます。

  • 葬儀

    人生の最期を送る装いは、かつては白でしたが、現代は黒が一般的になっています。和装の場合は、染め抜き五つ紋の黒紋付に黒のなごや帯を一重太鼓に結び、襦袢、衿、足袋以外はすべて黒になります。

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