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「唐織」という文字から、いかにも中国の唐の時代の織物であったり、中国渡来の織物という印象をお持ちの方もいます。実際に中国から日本へ伝わったものは大変多いのですが、意外にも唐織は日本で生まれ、日本で発展を遂げた独自の織物です。ちなみに「唐」というのはもともとは朝鮮半島に栄えた加羅国を指します。朝鮮半島全体を表す「韓」、中国の「唐」などを含めて「外国」を表すようになり、やがて舶来品を指す言葉となって、高級品にも「唐」の文字が使われるようになりました。
現存する最古のものは鎌倉時代の鶴岡八幡宮の御神服で、本来は公家の装束でしたが、室町時代になると将軍周辺のごく限られた人にだけ着用が許されるようになりました。そこで、まさに「高級品」を表す「唐」の文字が使われるようになり「唐織物」となり、その後、能を庇護した足利義満などから能役者へと与えられ、能衣裳としての歴史が始まりました。そうしていつしか唐織物は「唐織」と呼ばれるようになり、色数を抑えた公家好みの文様から、徐々に派手になり、江戸時代には金糸なども用いられるようになって絢爛たる輝きを見せ始めます。
着物:黒留袖(宝づくし)
「帯」という言葉を初めて聞いたのはいつだったか覚えていますか? その語源は細い紐を表す「お=緒」+「び=結び」または身に着けることを意味する「佩ぶ」という説が有力です。現在は「帯」一文字で身に着けるという意味も持っているほか多くの意味を持つようになりました。現代社会において、最も身近なのは「亜熱帯気候」とか、「携帯電話」の「たい」でしょうか。
「帯」という文字の冠部分は、身体に巻いている細長い布を、下の部分はその布が美しく垂れ下がる様子を表しているそうです。
古来、細かった帯は江戸時代になると、当時のファッションリーダー、歌舞伎役者や遊女の帯結びを真似たりすることで、どんどんその幅が広くなります。ヘアスタイル、帯、袖などが豪華になっていき、帯を結ぶ位置もだんだん高くなっていきました。
江戸時代の末期には、江戸の亀戸天神の太鼓橋の再建で、深川芸者衆がその太鼓橋を模した帯結びをして一世を風靡。それが今の「お太鼓結び」の始まりとなりました。
螺鈿は紀元前3000年頃のエジプト文明にまでさかのぼることのできる大変歴史の深い工芸です。日本には、奈良時代に中国から渡りました。琥珀や鼈甲などと共に貝殻も用いて、主に琵琶などの楽器の装飾などに用いられていました。日本は島国。周囲は海に囲まれています。その海の産物でもある「貝」を使う細工物はどんどん技術が高くなり、漆器などの工芸品や芸術品にも用いられるようになります。
螺鈿は選び抜かれた孔雀貝、夜光貝、南洋パールの母貝でもある白蝶貝などの貝殻の内側の発色の良い部分だけを取り出し、ミリ単位の薄さに切り抜いて、貝殻の持つ美しさをそのままに磨き上げます。
貝殻の内側の美しく輝く部分を丁寧に剥離して磨き上げます。
ほぼ半透明になるほど磨き上げ、和紙に描かれた原画の上に丁寧に貼っていきます。その絵をそのまま飾っても十分に芸術性の高い物ですが、その「加工箔」と呼ばれる絵を、西陣ならではの「引き箔」の技術で、1ミリ以下の糸状に裁断して緯糸とします。その緯糸を、一本たりとも順番を間違えずに丁寧に織り込んでいくと、そこには一度バラバラになった絵が徐々に帯の上によみがえります。
硬い貝殻が柔らかい布へと生まれ変わる奇跡。古来より宝石のような神秘的な輝きで人々を魅了してきた螺鈿は七色の輝きを放つ魅惑の帯として人気を集めています。
帯:桜メダリオン (佐野正喜作)