特集
写真:川北武志 着付け:敦賀雄子
協力:加賀友禅大使 モデル:中野未那、谷口敦子
商品協力:近江屋株式会社、株式会社小川屋、株式会社望幸
撮影協力:金沢港クルーズターミナル、大友楼
ひとたび身にまとえば、どんなオートクチュールドレスにも負けない
エレガンスを手に入れることができます。
スポットライトを浴びているかのような高揚感。
この瞬間のために頑張れる着物があるという幸福。
加賀友禅に袖を通すと、止まっていた時間が動き始めます。
そう、今日はきっと加賀友禅日和。
安土桃山時代の終わり頃から江戸時代にかけて、ここ金沢には200軒もの染屋さんが軒を連ねていたといわれています。もともと金沢やその周辺は絹や麻の産地だったこと、さらに金沢には浅野川、犀川という二つの豊かで美しい川があり、染めにはどうしても必要な豊かな水があふれていたこともあり、藍染を主とした紺屋さん、紅や茜を主とした茜屋さんがあり、加賀のお国染めとして栄えていました。
江戸時代の初期にはすでに多くの技法があったといわれていますが、中でも「梅染」については、寛正5(1464)年の文献にも記されていて、加賀のお国染めを代表するものとされています。今も兼六園の奥には見事な梅圏があり、梅が咲いていた当時を思い起こさせてくれます。梅染は、梅の木の皮や渋を使い布地を染めました。黄色がかった赤色になります。幾度も重ねて染めていくと赤くなり、これを「赤梅染」、さらに重ねて染めれば黒色に染まり、これを「黒梅染」と呼んでいましたが、現在の加賀友禅とは随分違うものでした。
お国染めから、加賀友禅へと技術が向上し、ほぼ現在の加賀友禅の染色技法として確立したのは、元禄時代(1688ー1704年)の頃。
能登の穴水出身で、京都で扇絵師として一世を風靡した宮崎友禅斎は、晩年京都を出て加賀へ移り住み、加賀前田家六代目、加賀藩五代目藩主前田吉徳の御用を務めた紺屋頭取の「太郎田屋」のもとで染め衣装の下絵を描いて余生を送りました。1736(元文元)年に83オの生涯を終えたと伝えられていますが、正式には生没年は不詳です。
がどうやら事実らしいと確認できました。龍国寺では毎年友禅斎の命日とされる5月17日に「友禅まつり」が行われています。とても地味で小規模なお祭りですが、加賀友禅作家の方々や、加賀友禅に携わる人たちが、筆やハケなどの道具を燃やして供養したり、始相である宮崎友禅顔に思いを馳せたりしています。
加賀友禅の歴史は、百万石を誇る加賀藩の文化振興政策の手厚い庇護のもと、従来からの染色技法に加え色絵、色絵紋などの技法が加わり確立•発展をして、現在の姿になっています。
※加賀藩の成立時期や、加賀藩主初代は誰かなどについて諸説あります。また宮崎友禅斎の生涯や没年についても諸説あります。
本年6月にオープンしたばかりのクルーズターミナル。海側は解放感あふれる全面ガラス張りで、日本海の白波をイメージしたウェーブの屋根が特徴的。
乗船客四千人の出入国手続きを二時間で済ませられるという広いCIQエリアでは、 さまざまなイベントが開催される他、 2階は食事や眺望、 各種体験などが楽しめる工夫が凝らされたフロアで、 夜には金沢港をとり囲む美しいライトアップもお楽しみいただけます。
〒920-0332
石川県金沢市無量寺町リ65番地
TEL : 076-225-7030
https://www.kanazawa-cruise.jp/
天保元年創業の老舗。初代大友儀左衛門は前田家三大利常の御膳所御料理方を務め、それ以降、代々加賀藩料理人を務めました。築百年超の風格ある客室では格別のおもてなしと絶品加賀料理をいただけます。歴代当主は金沢出身の作家室生犀星、泉鏡花などとも交友がありました。現当主の大友佐俊氏も上戸彩さんが主演した映画「武士の献立」の料理監修をするなどお弁当と料亭の枠にとどまらず、広く活躍しています。
〒920-0918
石川県金沢市尾山町2-27
TEL : 076-221-0305
http://www.ootomorou.co.jp/