特集
ビアテイスターの資格を持ち、酒造メーカー「新潟銘醸」のCMに出演、祭では神輿を担ぎ、片貝まつりの花火には欠かさず駆けつけ、美しい景色を見ると趣味のカメラでファインダーの中にその景色とイメージ、空気感までをも切り取ります。出張先にはシューズを持参し、どんなに忙しくとも朝はジョギングからのスタート。仕事と遊びの間に境界線のない伸びやかなクリエイターであり、理工系の頭脳で絣を操る樋口隆司さん。樋口さんは小千谷縮屋の六代目であり職人であり作家です。小千谷縮の技法を生かし、絹織物で縮織りをするという発案で「紬ちりめん」を創案しました。第三十七回日本伝統工芸展に絽織縮絣着尺「風の道」が入選、翌年には、全日本新人染織展で、地元片貝まつりの奉納煙火の花火をモチーフにした作品で大賞を受賞しました。世界一の四尺玉が上がることで有名な片貝まつりは、海や川で行われる全国の花火とは少し趣を異にする山の花火。山間にこだまするドーンという迫力満点の音や観客たちの大歓声まで聞こえてきそうな、夜空を覆い尽くす花火を経緯絣で表現した作品。眺めていると花火の余韻や祭りの後の静けさまで感じさせてくれるなんとも言えない趣があります。二回目の伝統工芸展入選作品は「流れ星」で、小千谷の夜空を流れる星を絣で表現した絶妙な計算と技が澄み切った夜空のように冴え渡っています。
樋口隆司の代名詞は雪国の四季を象徴する「花風月雪」と「宙」。創り上げる作品には、色柄が少ないのが特徴です。しかしよく見ると、そしてよく考えるとなんだか作り方が分からなくなってくるのです。縞だと思うと途中で消え、かと思うと少しだけ揺らいでまた現れます。経糸と緯糸が直角の交差をしているのに、涼やかな風が思いのままに吹き抜け、そこに今にも飛び出してきそうなイキイキとしたトンボが現れ、月のウサギは自由に夜空を駆け抜けていきます。月の満ち欠けは地球と、命の営みを教えてくれているよう。シンプルなデザインの中に計算し尽くされた美を生み出しているのです。反物や、畳んだままの着物を見ていると分からない魅力が、袖を通して着ることで「ああ、そういうことだったのだ」と着姿の美しさに大きく納得してしまう、そんな不思議な魅力がたくさん隠されているのです。
江戸時代には三国街道と清水街道の宿場町として栄えた六日町に「林宗平工房」はあります。東には駒ヶ岳、中之岳、日本酒の銘柄としても有名な八海山と連なる越後三山を擁し、西には魚沼橋梁を望む豊かな穀倉地帯です。新潟県内でも有数の豪雪地帯で、川端康成、立原正秋の小説の中に、この辺りの厳しい暮らしや、胸が締め付けられるような寂寞感が描かれています。
半年ものあいだ雪に閉ざされ、一切の農作業を封じられてしまう農家の副業として、糸を績み、機を織ることは重要な収入源でした。幸いにして雪国の湿気と苧麻との相性は抜群に良く、長い間農家の生活を支えるものでもあったのです。
林宗平工房で『るると』取材班を笑顔で温かく迎えてくれたのは、宗平さんの息子さんの林正機さんと、お孫さんの秀和さんです。
宗平さんは、越後上布を作る一方で、越後上布の技術を絹織物に取り入れた塩沢紬もたくさん作っていましたが、好奇心旺盛なチャレンジャーで、全国各地の織物産地を訪ね歩き、各地の織物を熱心に研究したといいます。遠く奄美大島まで出かけて泥染めや大島紬ならではの絣も研究していました。また、産地にとどまらず小売店さんへ出かけては、実際に着用する女性たちの声を聞き、また塩沢紬の魅力を伝え歩いたといいます。
「伝統的な織物の里にいるからといって、守るだけではなく、人と違ったものを作りたい」というエネルギーはとても大きく、文化財の越後上布を大切に守り伝える一方で、草木染で独自の世界を切り拓いていったのです。
そのチャレンジ精神と探究心は息子の正機さんにもしっかりと受け継がれました。そして正機さんも色へのこだわりには並々ならぬものがあります。正機さんが生み出す色は透明感があって明るい色。「同じ色は二度と出せない」という正機さん。それだけにその時出たその色を一期一会の気持ちを込めて丁寧に染め上げます。
色をいただくための草木はそれこそさまざまで、草木によって色を抽出する方法は異なります。たとえ同じ草木でもその日の気候や湿度、媒染や染めている時間などによって色は無限にあるのです。半年もの間、色のない暮らしをする豪雪地帯ならではの色への憧憬やリスペクトが、そのまま作品への愛情となり、着る人を魅了する美しい色が生まれるのでしょう。
長い冬に耐えた豪雪地帯に暮らす人々への神様からのご褒美は梅も桜も一気に咲く、他の地域にはない雪国ならではの春。モノクロームの世界が一気に花畑のようになる春は、雪国の人々にとってきっと特別なものに違いありません。
工房では秀和さんは先日社長に就任しました。長いこと京都の織物問屋さんで働き、全国……、とりわけ琉球の織物について語らせたら右に出る者はいないというほど多くの事を勉強をし、全国各地の呉服店で販売の手伝いも経験しました。越後人特有の忍耐力と穏やかさに加えて勘の良さや長年の販売現場で培われた洞察力や直感力で、物づくりに味わいを加えています。そんな若く溌剌とした経営者の下には、ベテランの職人さんだけではなく若い織り子さんたちが育ち始めていました。