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豪雪地帯の魚沼では、飛鳥、天平の時代から自生の苧麻を素材とした麻布が作られていました。正倉院には越後から1200年前(天平勝宝年間)に献納された麻布が保存されています。また、さらに古い時代の機織の道具も出土しています。弥生時代から二千年の時を経て、麻織物がこの雪国で連綿と受け継がれてきたのです。
越後の麻布はその品質、着心地の良さから全国へ広まっていきました。江戸時代に入ると、小千谷、十日町、堀之内には縮市が立ち江戸や京都、大阪から縮商人が訪れて、魚沼は活況を帯びていきました。上級武士や大奥などで、夏の裃や帷子として愛用され、越後麻布はどんどん人気が上がり、江戸末期には年間20万反という生産量を誇るまでに。その後どんどん生産量は落ち、この貴重な技術を後世に伝え残すため、昭和30年に日本の織物では最初の重要無形文化財となったのです。現在保存協会の皆さんが懸命に守っている重要無形文化財の小千谷縮が年間で5反前後、越後上布が20反前後という生産量(生産量ともいえないほどの数)にまで落ち込んでいます。
一方で、糸が重要無形文化財の指定条件には満ちていないものや、絣のない無地や縞のものなど、ほぼ同じ製法で作られている文化財以外の小千谷縮や越後上布が、涼を呼ぶ着心地の良さや軽さ、扱いやすさから着物ファンの間でますます人気が上がっています。