特集
モデル写真:Studio MacCa
取材撮影:中根禎裕 秋元きりん
日本には全国各地にその土地ならではの染や織があります。
こんなに狭い国土の中にこんなにも多種多様の美しい染や織があるのは世界中を探しても日本だけではないでしょうか?
各地に伝わる素晴らしい染織の中から、今回は、『るると』編集部が厳選をした4カ所をフィーチャーしました。
その土地ならではの地形、気候、風土、生育する植物や風俗、気質などが生み出す美しい布は、
後継者が年々減少しています。
その素晴らしさを少しでも知り、全力で応援したいという願いと思いを特集に込めました。
久米島紬は、明国に渡った堂之比屋が持ち帰った養蚕の技術や糸紡ぎ法が起源であると、琉球王府がまとめた『琉球国由来記』に記されています。絣の製法がインドから伝わったとされる説もあり「日本の紬発祥の地」とも呼ばれ、五〇〇年の歴史を持つ久米島紬には、陸のシルクロードや海のシルクロードを感じさせてくれるロマンがあります。
また、1619年に越前(現在の福井県)出身の坂元普基という人が久米島に渡り、桑の植え方や蚕の飼い方、真綿の紡ぎ方を指導、その13年後の1632年には薩摩(現在の鹿児島県)の友寄景友が八丈島織の技術を伝えたなどの記録もあり、このあたりから現在ののカタチに近い久米島紬になってきたことが伺えます。『るると』取材班が訪れた日も、久米島紬事業協同組合と併設された共同作業場のユイマール館では沖縄本島の那覇の大学から絣の専門家がさらなる技術向上のための指導に来ていました。いつも明るく前向きで、心を開いて自然や人から素直に学び、受け容れるという久米島の織り子さんたちの気質が、遠い昔から現在に至るまで久米島紬を支えていることを改めて実感する場面でもありました。
沖縄には小さな島々に一体なぜ?と疑問に思ってしまうほどとても多くの染織があり、それぞれに特徴を持っています。そして、その素材は苧麻、芭蕉、木綿など多岐に渡りますが、絹織物は琉球王府のあった首里の一部を除けばそのほとんどが久米島で作られていました。久米島に自生する植物だけを用いた深くコクのある色合いと、どこか素朴で温かみを感じる一方で端正な絣の美しさ。かつては琉球王朝への貢ぎ物として、また日本の本土を含めた貿易先への最高の土産物として、そして実益の大きな貿易品として高い評価を得ていました。
その昔、久米島の各集落には久米島紬の共同作業場「布屋」がありました。助け合い、教え合い、高め合うのが久米島流。一人ではできないことも損得抜きに力や知恵を出し合って共同で行ってきたのです。しかし、第二次世界大戦の被害によって各集落にあった布屋はなくなってしまいました。共同作業場であり、仲間に会える心のよりどころでもあった布屋の消失は、単独では到底できない整経や絣括り、砧打ちなど力を合わせて行っていた共同作業場の喪失であり、「織りたい」という気力の喪失でもありました。その後一部の家庭でごくわずかに細々と受け継がれてきた久米島紬は風前の灯火となり一度はほとんど消えかけました。1992年に心ある人たちの努力によってかつての布屋を彷彿とさせるこの「ユイマール館」ができ、ようやく久米島紬は命を吹き返したのです。
桃原禎子さんは「家にいるよりユイマールにいるほうが落ち着くし、こっちのほうが好き」と、昔から変わらないチャーミングな笑顔でコッソリ教えてくれました。この島で生まれ育ち、母親が織り子だったことから若い頃から染めや織りが身近にあり、母の手伝いをするのが好きでした。結婚して子育てをしながら沖縄県工芸指導所で本格的に久米島紬を基礎から学び、1980年にはその確かな技術と目を評価され、久米島紬の検査員になり、約10年後には指導員となりました。若い担い手を育てることを始めたのです。
1994年には伝統工芸士に認定され、押しも押されもしない久米島紬の第一人者となりました。トップになってもその優しく親しみのある雰囲気はひとつも変わらず、明るくて、ふと冗談を言ったりする楽しい女性で今も後進から慕われています。
ユイマール館全体の空気は久米島気質、助け合いの「結」を意味するユイマール精神で、禎子さんのたたずまいそのもののようにも思えます。ユイマール館には「禎子の部屋」があり、そこにはたくさんの資料や図案、構想や織り上がって砧打ちを待つ反物などが置いてあります。今回『るると』の取材班は特別に部屋の中も見せていただくことができました。
2004年に重要無形文化財となり、久米島紬への注目はますます高まりました。今では久米島のみならず全国各地からここで働きたいという人が集まるようになり、次々に新しいチャレンジを続けています。多くのものを受け容れ、素直に学ぶ久米島気質と今も変わらぬ島の自然、そして明るく前向きなエネルギーが満ちあふれたこのユイマール館で、きっと新しい久米島紬がまた生まれてくるに違いありません。