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工房探訪 十日町友禅 吉澤織物

2017/12/01

工房探訪

日本きものシステム協同組合の一行が訪れたのは、ちょうど田んぼが黄金色に染まり始めた9月初旬。ここ十日町ではそろそろ稲刈りの準備が始まります。全国有数の豪雪地帯は、古くから米や酒とならんで麻織物の一大産地でした。昭和に入り、絹へ転換、そして染へ転換を見事に成し遂げた十日町のリーダー的存在である吉澤織物を訪ねました。

吉澤織物の成り立ち

吉澤織物は、初代の伴治郎が宝暦年間に縮市で縮を商い、三代目の与市が安政年間に織物を始めたのを創業年として160年以上の歴史を持つ会社です。現在は八代目の吉澤武彦氏が社長を務めています。

武彦氏の父で現会長の愼一氏はたぐいまれなるチャレンジの連続によって数々の大ヒット作を世に生み出してきました。父親の早世により20代で社長になった愼一氏「当時大流行していたマジョリカ御召のような明るい色の羽織を作りたかった」というのが最初のチャレンジでした。整経ムラがひどくて商品にならないという大失敗から一挙逆転!「女性を美しく見せるのは黒」と、黒く染めることを思い立ち、試行錯誤を繰り返してついに後に「PTAルック」と呼ばれる黒羽織を開発。「クロッパ」とも呼ばれて、誰もが求め、着用し、当時空前のブームとなりました。

愼一さんが次にチャレンジしたのは、現在では十日町のメイン商品になっている友禅でした。当時、愼一さんは幾度も京都を訪れ、京友禅を徹底的に学んだといいます。

吉澤の友禅は、付下げがスタートでした。軌道に乗り出したのは昭和43年。これは十日町が織の産地から染の産地へと大転換を遂げる新たな時代の幕開けでもありました。高度経済成長期、生活の洋風化が加速度的に進み、着物と言えば結婚式などを初めとするフォーマル一辺倒の時代でしたので、もし、守ることだけに専心し、もっぱら日常着である十日町明石ちぢみや、十日町小絣といった織物のみの生産を続けていたら着物産地としての十日町は生き残れなかったかもしれません。

美しい染は美しい工場で

吉澤織物の向上では、ベテランの年配者と若い社員が切磋琢磨しながらイキイキと働いていて、心地よい緊張感が漂っていました。若い女性も以外に多く、誰も彼もが集中力の要る仕事をしているにもかかわらず、手を止めてきちんと挨拶をしてくれます。明るい笑顔がとても感じが良い上に、掃除や整理整頓が徹底的に行き届いた、とても気持ちの良い工場でした。
最初に見せていただいたのが彩色で、板がたくさん並んでいるところに真っ直ぐに生地が貼られ、職人さんたちはお辞儀をするように腰をかがめて一心に型に色糊を置いていました。柄の重たい振袖ではこの型を300枚くらい使う作品もあるそうで、その手間を考えると、ちょっと気が遠くなります。滅多に見ることのできない、染の途中の生地。これからまだまだ色柄を増えていきます。染める部位や染め方によって刷毛やエアブラシを巧みに使い分けます。

染めた柄にさらに糊を伏せて、その部分が染まらないようにして、次に隣の部屋で引き染めが行われていました。長い反物の端をたくさんの針が付いた木と穴の空いた木で挟んで、片側の柱にくくりつけ、丁寧に広げていきます。反物の幅をピンと張る伸子張りは、先端に針のついた細い竹で、生地がピンとなるように反物の裏側に等間隔に張っていきます。たるんだり傾いたりすると色むらになってしまうので、簡単そうに言えるこうした仕事がとても大変です。

自社内一貫生産!

吉澤織物の特徴は、常に時代を見据えて新たな物づくりにチャレンジを続けてきたことと、その結果、自社工場に織りの工場と染めの工場を両方持ち、すべての作品が自社内での一貫生産ということです。

引き染めは、スピード勝負!丁寧に、しかもスピーディーに行わないと地色がムラになってしまいます。携帯電話が嗚ろうと、見学者がいようと、途中で止まるわけにはいかないデリケートな仕事でもありますので、その日に染められる分だけをキチンと計算して、張り、染料もその日の分だけを調合します。その手際の良さとスピード感は、見ていても気持ち良いほど潔く、一切のムダがない動きに見とれてしまいました。

今日一日使う分の「豆汁(ごじる)」を反物に塗って「地入れ」をします。この場合の地入れは、染料がムラなく染めやすくなるための下準備です。リズム感良く、スピーディーに地色を染めていきます。必要な道具や染料はすべて車輪の付いた台車に乗せられていて、反物の端から端まで一緒に動いていきます。

とがった針が並んでいる棒と、穴の空いた棒の二つで一組の張木。引き染めをする反物の端を挟んでピンと張ります。張木を柱に括り付けたら、バックで歩きながら反物を広げて向こうの柱に反物のもう一端を括り付け伸子張りをします。

友禅染は、十日町に限らず「蒸し」という工程が必ずあります。その蒸しも、もちろんかつては川で行っていた「友禅流し」も吉澤織物では自社工場内で行っています。

この日はあいにく、ちょうど友禅流しの工程に当てはまるものは午前中で終わってしまっていて、水が抜かれてキレイに掃除された人工の川を見せていただくことになりました。使い終わるとどの設備も道具も毎日、毎回キレイに掃除をして常に整えるのも吉澤流。

蒸しは木の扉の向こうにステンレスの蒸し器が並んでいて、次に蒸し器に入るワゴンに友禅染を終えた作品が下げられていました。蒸しをすることで発色が良くなり色が定着をする、とても大切な工程です。次の仕事へのロスタイムがなく、携わる人たちがきちんと自分の仕事を全うしている隙の無い仕事に吉澤織物のプライドを見たような気がしました。

長い反物がジャバラのように下げられていて、この台ごと蒸し器に入れられます。木の扉の向こうには部屋のような大きなステンレス製の蒸し器があります。これによって、発色が良くなり色が定着します。

品格をまとうひと、洗練の頂点へ

美しいだけでなく、すれ違う人にさわやかな余韻と感動を与える着物姿。着物を楽しむことは、人生を楽しむこと。気負わずに、自然体で自分らしく着こなしたいから、私は本物を選びます。

着るひと 女優 木内 昌子

1997年「第1回ザ・ジャパン・オーディション」の合格をきっかけに芸能界入り。翌年、V6のComingCenturyが主演を務めたTBS系「PU-PU-PU-」にてヒロイン役でデビュー。映画「踊る大捜査線」、「GTO」、テレビ朝日系「はみだし刑事情熱系」では柴田恭兵の娘役にてブレイク。2004年にはフジテレビ系「女医・優-青空クリニック-」にて初主演を務めた。NHK「葵徳川三代」、「てるてる家族」、TBS系「砂時計」、「水戸黄門」、「ラブレター」、フジテレビ系「HERO」、「ウエディングプランナー」、「美しい罠」、テレビ朝日系「着信アリ」など。2011年からは香川県の観光大使「うどん県副知事」としても活躍しており、2016年6月には「かがわ21世紀大賞」を受賞。近年ではその演技力を活かした朗読劇を精力的に上演しており、nanamiという名前で歌手活動も行っている。
訪問着:日本きものシステム協同組合オリジナル訪問着(吉澤織物)