Ruruto

特集

この春も、これからもずっと私の宝物
極上の染で 心躍らせて

一竹辻が花で気品に満ちた輝きをまとう

圧倒的存在感の一竹辻が花のきものに袖を通すだけで、春爛漫のエレガンスに酔いしれます。

着物:幻蒼(げんそう)
帯:幻(げん)
久保田一竹

一竹のオリジナルの生地に天目染を施し、さらにボカシ染をした上に、肩、上前、裾に絞りを施すため、完成までに数カ月かかる豪華な訪問着です。
帯は初代一竹の作品の中でも、大変珍しい全通袋帯です。 時代を超えて初代と二代がコラボしてもコーディネートがピッタリ合うのが見事です。
着物:青い空
帯:野の花
久保田一竹

二代一竹の訪問着には大変珍しい結城紬の白生地に数十回の一竹ボカシを施した訪問着です。

Ruruto スペシャル対談
日本きものシステム協同組合理事長 武内孝憲×二代目 久保田一竹氏

  • 一年に一度、日本きものシステム協同組合で開催される「振袖カレッジ」の特別公演にお招きした久保田一竹先生。
    講演の前に、旧知の仲でもある武内孝憲理事長との対談がかないました。
    講演内容と併せて一部、ご紹介します。


――武内
今日はありがとうございます。コロナ禍で入場制限がありましたので少し残念ではありましたが、東京国立博物館での展覧は感無量でした。日本の美しいものに触れると、日本人の誇りを取り戻せるような気がします。日本の美意識と申しますか、そうした美について先生のお考えを聞かせていただけないでしょうか。

――一竹
昔の柄を見て、決して古くないのが日本の美、日本のデザインのすばらしさでしょう。花は布に直接描くこともあれば、一旦、紙面に抽象化、デザイン化することもあります。着物は染から絞り、金箔、刺繍と贅沢の極みですよね。それを身に着ける、ましてやすべてがシルクというのはすごいことです。これが古代から現代まで続いていいるのは日本のすばらしさではないでしょうか。

――武内
たとえ日常で見かけることは減っていくとしても、着物、日本の美がなくなってしまうことはないとは思いますが、我々(小売店)がきちんと作品や作家さんの思いをお客さまにお伝えする努力を怠らずに、本質や価値を咀嚼した上で時代に合ったカタチで販売させていただかなければ、技術を後世に伝承したり、本物を作る方をお支えできないですね。

――一竹
例えば着物に限らず漆器などは、若い方はあまりお使いにならないでしょう?
私の年代までは家に必ず漆器がありました。先代(一竹)も漆のものが大好きでコレクションしたような時代もあったんですよ。それで食事をいただくというのはある意味で最高のぜいたくなわけです。プラスチックの器でいただくのとは違う。そうしたことで美に対する意識とか見る目とかが自ずと高くなっていくのではないでしょうか。使い手と作り手を取り持っている小売店さんはこうしたことを訴えていただくと・・・・、漆器などを使うと心が豊かになる、そんなこともお願いしたいところです。

――武内
一竹辻が花も、心が豊かになりますね。その方に映るといいましょうか・・・・いろいろな着物がある中で、圧倒的な作品力があるなぁといつも感じております。白生地にこだわられていたということもあるかと思います。

――一竹
たくさんお求めいただくものではありません。楽しんでお選びいただく、そのたった一点について、小売店さんもすべてを完璧に説明できないのは仕方がないことで、もし自分が小売店さんに伺ったときには、興味がある方、お求めいただく方には、詳しいお話をさせていただきたいと思っております。興味があるからいらしてくださるわけですから、そうした方にはいろいろなものをお見せして楽しんでいただけたらと思います。

――武内
いろいろお見せしたりご説明するには工房へお連れするのが一番でしょうが、それもなかなかかないませんので、お店に先生に来ていただいてお話をしていただきたいときはありがたかったです。特に晴れの場では、一竹辻が花は圧倒的存在感と、どんな高級なドレスもかなわない美しさがあります。作品を求められた方は一つの存在感・・・、配色にしてもとてもモダンに見えて美しい。80年かかって表現されてきた一竹辻が花ならではの無二の色が見事だと思いました。当社で展示させていただいたアルフィー高見沢さんの着物も・・・

――一竹
高見沢さんが羽織っても一竹辻が花はミスマッチに見えないですね。高見沢さんは初代一竹の時代から一竹辻が花の大ファンで、2000年に神宮外苑で大きな記念コンサートがあったときも、先代の「赤富士」をお召しになったんです。アルフィーには長いファンの方々がいて、一緒に年を重ねていらっしゃるので私の同年代の方もいらっしゃいます。長年の最高のファンがいらっしゃるのに、一方で結構若いファンもおられて、そして統率が取れていますね。静かな曲ではじっくりと耳を傾けている。
実に面白いことです。

――武内
親が好きで聴いていたのを子どももっていう、世代を超えたファンというのは強いですね。振袖も、以前はお母さんのは着たくないというのが、昨今ではお母さんのを着たいとおっしゃる。こうした作品も代をつないで後世に遣っていくものだという思いがあります。ところで初代の一竹先生はもともと友禅師だったんでしたね。昔の辻が花の裂をご覧になって魅了され研究を始められたというのは有名な話ですが。


――一竹

そうです。先代の時代は戦争の時代です。大正6(1917)年生まれですから、終戦の前年に召集令状が届き、シベリア抑留となりました。先代もほとんど語りませんでしたがとても人間が生きていける生活ではありません。捕虜として亡くなった方は、ソ連の発表では5万数千人でしたが、アメリカの学者が調べたら確認済みの死者が25万人、行方不明者を入れると死者は34万人とされていますから先代が生きて帰れたのが不思議なんです。もし私だったらきっと生きて帰れません。
先代はたまたま絵が描けたので、何か役に立つということで生き延びたのかもしれないです。

――武内
大変な時代です。

――一竹
私の姉は、父が戦争にかり出される前に生まれていて、母は3年間たった一人で姉を育てました。先代が東京国立博物館で古い辻が花の裂と出会ったのが昭和12(1937)年、間に戦争を挟んで、復員し、念願の辻が花の研究を始めたのは昭和26(1951)年のことです。昭和34(1959)年に辻が花制作の端緒をつかみ、その後工房を作って「一竹辻が花展」を開催できたのは昭和52(1977)年ですから、気の遠くなるような時間をかけて、ものすごい情熱を注いだことが分かります。

――武内
何度伺っても心が震えるお話です。そうして情熱を注がれた着物に袖を通すことができるというのは、最高の幸せです。

――一竹
着物をよくお召しになる方、着慣れている方は自分が受ける周囲からの違いを分かっていらっしゃいますね。洋服とはまったく別の扱いをしてくれます。ホテルのドアマンの態度からして違います。着るものの力というのは実に大きいですね。

――武内
着飾るという意味ではなく、本物を着こなせる自分になれると申しましょうか、本物を着ているうちに人はより本質的になれるかもしれません。そして、良いものを身に着けていると姿勢も視線も立ち居振る舞いも変わってくる・・・。先ほどの漆器とプラスチックのお話ではありませんが、着るものが人を育ててくれるという、その喜びが、着る人を誇り高くしてくれるということもあるように思います。

――一竹
本物には力がある、これは間違いなさそうですね。


――武内

ところで、初代から続く芸術作品の「光響」はまだまだ・・ ・。

――一竹
「光響」の連作は先代から引き継ぐべくして受け継いだ大きな夢ですね。これは「四季と富士山」を80連作で表現するという壮大な計画です。現在、「秋から冬の34連作」と「20作で構成される富士山の9作」、 合わせて43連作が出来ています。私も一緒に制作していましたが、富士山は先代の時代に5作、そして私の代になってからようやく4作品出来ました。実に時間を要する創作で私の代で富士山20作の完成までは至りません。仮に富士山20作が出来たとしてもその次に「春と夏の26連作」が待っています。これは久保田家代々100年計画なのです。
読者の皆さまが一竹辻が花を一点お求めいただくたびに、それが作品作りの資金となります。

――武内
わずかでもこの夢を実現できるように、日本きものシステム協同組合でも全力で一竹辻が花を、お客さまにお届けできるよう頑張りたいと思っております。そして、一竹辻が花をお召しいただいたお客さまが誇り高く美しく輝いてほしいと願います。
時代の変化と共に、展示会や催事の在り方や情報発信の仕方、受け止め方が大きく変わってまいりました。こうした時代の中で着物の持つ力をどうお伝えしていくか?が我々の大きな課題の一つです。そして、唯一無二の一竹辻が花の魅力をどのように伝えていくか、本質を伝える一層の努力をしていかなければなりません。お客さまにしても、一竹辻が花の着物をお召しになることで文化的な活動に貢献できるというのは、考えてみるとすてきなことですね。今日はありがとうございました。

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