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特集

東京の伝統工芸を訪ねて
江戸の粋を愉しむ夏

東京友禅

東京には、江戸時代から続く気風と東京ならではの歴史に育まれてきた、和装にまつわる職人技がまだまだたくさんあります。


左 東京友禅夏訪問着 「湖畔涼風」
右 東京友禅夏訪問着 「鮎」
共に坂井教人 作
/近江屋

江戸の粋を文様に託して

繊細な糸目糊置きの技法と、多彩華麗な絵文様が布の上で繰り広げる無限の美しさを誇る友禅染。元禄時代、能登の穴水出身といわれる(京都生まれ説もあり)宮崎友禅斎(1654〜1736)は、京都で扇絵師をしていました。友禅斎の描く文様が大変美しいことから、小袖のデザインを依頼され、大流行をしました。布に染める色同士が混ざり合わないようにする糸目糊が開発され、友禅糊と呼ばれました。

京都や加賀(金沢)で広まった友禅染が江戸で行われるようになったのは、日本橋越後屋(のちの三越、現三越伊勢丹ホールディングス)の存在が大きく関わっています。当時の着物の多くは受注生産。お客さまから注文を受けると、越後屋お抱えの図案師が図案を描き、染めは京都に発注していたのですが、現代と違って連絡や物流に時間のかかる時代のこと。いち早く上質な物を納品すべく徐々に東京で制作されることが増え、江戸友禅は独自の発展を遂げていきます。都が京都から江戸に遷ったことで、多くの職人が東京に移ったこともまた、江戸友禅が生まれることに弾みをつけました。

公家好みで華やか、縫いや箔も施される京友禅や、武家好みでシックで繊細な写実文様が特徴の加賀友禅に対し、徹底的に江戸の粋を描く東京友禅は、スケッチから仕上げまで全ての工程を一人の技術者を中心にした一貫作業で生み出されています。

江戸小紋

究極の江戸の粋

  • 「創作寄せ小紋」彫師 双光
    染師 光壙/近江屋

  • 「通し」「鮫」「大小霰」
    染師 金田朝政/近江屋

  • 「七十七選小紋」彫師 倉本義秋
    染師 矢尾八郎/近江屋

微細な点の繰り広げる文様の世界は今もなお、多くの着物ファンに愛され続けています。

平安貴族のおしゃれが襲色目に見られるように色同士の組み合わせで気分や季節を表現した雅な世界とは一線を画し、江戸小紋は平安末期から室町時代にかけて誕生した武士たちの粋な世界観といえるかもしれません。

江戸小紋が一気に広まる始まりは江戸時代の裃。武士が江戸城に登城するときの礼服(肩衣と袴)の文様は、例えば加賀前田なら菊菱、浅野なら大小霰、紀州徳川の極鮫といったように、家紋とはまた別に、家によって文様が違っており需要が増えるにつれて、江戸には染屋が急増しました。

それが17世紀頃になると町民階級にも広まり始め、江戸のユニークで遊び心あふれる文化と、職人の意地や心意気でウィットに富んだ江戸小紋が生まれました。

とはいえ、正式に「江戸小紋」と呼ばれるようになったのは、染師小宮家の初代小宮康助氏(1882〜1961)が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された1955(昭和30)年のことでした。氏が得意としていた小紋三役を中心とした裃小紋を他の小紋と区別するために「江戸小紋」と呼ばれたのです。

江戸組紐

武具から生まれた堅牢で粋な紐

江戸組紐
上 貝の口 縞遊玄染 平田組紐 作
下 鎧組 綾竹台 平田組紐 作
/啓明商事

近年大ヒットをしたアニメ映画の「君の名は。」で主人公が使っていたことで、静かなブームとなった組紐。着物ファンはもっぱら帯締や羽織紐などでおなじみでしょう。例えば着物や帯を織る場合、そこには経糸と緯糸が存在していて、その織り方でさまざまな風合いをかもします。同じ紐でも真田紐は経糸と緯糸とで織られますから正式には組紐とは言いません。お洋服のセーターやカットソーなどは緯糸だけで編まれますので編み物。経糸はありません。組紐は経糸だけで組まれますので組紐。大雑把に説明をするとそういうことになります。

組紐の歴史は飛鳥時代にまでさかのぼることができますが、その用途によって特性や組み方が変わります。例えば着物ファンには大人気の「冠」はその文字が表すとおり、冠が落ちないように首に結びますので、あまり硬くてもキツくてもいけません。そして組紐の中では最も伸び縮みの幅が大きいのも特徴です。このように貴族の束帯、巻物や仏具、お経や仏像などさまざまな物を結んだり束ねたりするのに適した紐が組まれてきました。

江戸組紐はもともとは武具。鎧兜や刀などに用いたものですので、刀で切られてもそう簡単に肌身まで届かない組み方など、部位によっても組み方が違っていました。戦場で修理する必要があり、武士は皆、紐を組むことができました。

徳川の天下統一によって戦がなくなり、組紐は徐々にその用途を替えていきます。武士の内職だったり、浪人が組紐職人になったりと江戸時代には随分とその様子も変わりましたが、明治維新の廃刀令でいよいよ武士の魂である刀の下げ緒の需要がなくなり、一方で、お太鼓結びの大流行で、武士たちの必需品は、江戸の粋な味わいを残したまま、女性たちにとって無くてはならない物になりました。

誰もが着物を着用していた時代には、江戸組紐の職人の組合があったり、職人たちが読む専門の組紐新聞があったりと隆盛を極めていましたが、一子相伝だった組み方もあり、今は幻になってしまった組み方も多く、数少ない職人たちが細々とその伝統の技術を伝える大変貴重な物になっています。