特集
写真:Studio MacCa
商品協力:近江屋 小川屋 望幸
ひとつの芸術作品のようで、美しく心に響くことこの上ありません。
そんな最高峰の芸術品を身に着けて楽しむという、最高のぜいたく。
それが着物の楽しみのひとつです。
帯を替えるだけで、着物の印象だけでなく、着ている人の印象まで変えてしまう。
オシャレのポイントは、特に後ろ姿に圧倒的な存在感を放つ帯。
今回の特集では袋帯に注目して、
上品に、可憐に、豪華に装う楽しいコーディネートと、
多彩な袋帯の種類をご紹介します。
佐賀錦は、江戸末期に佐賀鍋島藩の御殿女中たちの間で手芸として行われていた錦織物で、佐賀鍋島藩、第九代藩主夫人の「柏岡公」が床に伏せた際に、天井の網代文様を見てヒントを得て発案したことに始まるという説が有力ですが、明確なことは分かっていません。ただ、網代、紗綾形、菱型をはじめとする幾何学模様が多いのが特徴の一つですので、「天井の模様がヒントだった」というのはなんとなく想像できるような気がします。技術が進んで現在では幾何学模様以外のタイプもまれに見ることができます。
製法は大変手間のかかるもので、特製の和紙に金箔、銀箔、漆を貼り、細く裁断した物を経糸に用い、縒りのかかった色糸を緯糸として織り上げる豪華な格の高い帯です。
佐賀鍋島藩内で御殿女中が技術を守り、改良していたものが、廃藩置県によって一時期途絶えてしまいました。そこに登場するのが、佐賀県出身で早稲田大学の創始者である大隈重信でした。美しい織物の技術喪失を惜しみ、旧華族の間で再興し、1910(明治43)年に佐賀錦の名で日英大博覧会に出品したところ、「日本手芸の極致」と世界中から称賛されました。
熟練の職人でも、朝から晩まで折り続けてもわずかしか織れないという緻密な機織りのため、辛抱や集中力を養うために明治時代には娘の躾として習わせる親もいたというほど根気のいる仕事で、現在は、佐賀錦を織れる職人は減っています。
帯:佐賀錦 「雷文」(西村織物)
着物:加賀友禅訪問着 金丸修一作 「庭園」
着物:江戸小紋万筋 雨入り
元禄年間から300年以上続く「大庄弥さか」は、「大文字屋庄兵衛」と言ったほうが着物通にはピンとくるかもしれません。主に帯や御召の機屋が多い京都の西陣の中でも老舗機屋の一つで当代十代目の老舗です。江戸時代には幻の辻が花染に用いられる生地を織ったり、御所へ納める練貫を織っていたという歴史を持ちます。室町時代には、小袖の生地として多用された練貫ですが、元禄から江戸末期には産着として用いられていたようです。帯地の製造が始まったのは八代目の頃から。
これは、北条早雲ゆかりの箱根早雲寺の名物裂「早雲寺文台裂」を写した帯で、中近東のモール織で草花文が織り上げられた品格あふれる裂の文様を引き箔で表現しました。
「早雲寺文台裂」は、和歌の西行、俳句の芭蕉に並ぶ連歌師の宗祇が愛用したとされるだけあって、品格のあるおしゃれな帯に仕上がりました。
着物:小紋 大輪牡丹